祖母の遺言について

祖母の遺言について。私の祖母は83歳で亡くなりました。それまで1度も入院などしたことなかったのですが、心臓が弱ることによる体力の低下もあり、人生で初めて入院し半年間結局家に帰ることなく病院で死を迎えました。
そんな祖母ですが、自分の色を悟っていたためにきちんと遺言書を作っていました。まずは用紙ではなくともマスオさんとして自分に尽くしてくれた私の父親に対しての恩返しです。何もなければ全ての財産は実施である一人娘の母親に行くことになるのですが、そこをあえて父親に半分行くように遺言書に記すことにより感謝の意を伝えることにしていました。
さらに孫である私と弟にも現金を残してくれていましたのでお小遣いとして使うように封筒に入れてくれていました。これは生前贈与として税金がかからないと言うことで自由に使っていいと言うことです。
また、自分が嫁いできてからずっと住んでいた家、そして後については母親に全て譲ることにしていました。自分が亡き後、農業で行くかどうかは父親と母親に任せることとして理事をしないつもりで考えた末のことです。結局ここについては農地以外に転換できないので減反や休田をしながら活用していくしかありません。
そして祖母は病床の中で私と私の弟、それぞれの家内、そして3人の曾孫に対してもメッセージを手紙として書き添えて残してくれました。いずれもそれぞれの人格の上昇や短所を明確に示していて人生の道標になるような内容です。
ひ孫達も私の娘は大学生と高校生、弟の息子も小学生と言うことである程度その内容も理解できるようになっていました。これは遺言書としてお金や土地の権利のことを記載していませんが、祖母からの大事な天国からのメッセージとして彼らも心に留めて生きていくことだと思います。個人的にもお金の時だけではなく、残された者たちに移行したメッセージを残していく事は本当の意味での遺言ではないかとこの時に感じました。

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元気なうちに考える遺言の大切さ。

遺言なんて事はドラマの中の世界の話というイメージが大きくありました。

しかし、5年前に夫の祖父が亡くなった時に遺言書がなかった為にちょっとした騒動になりました。
騒動と言うのは、夫の祖父の妻はもう他界していて、子供は夫の父、妹、弟がいました。
しかし、夫の父は既に他界をしている為に、相続は他界した義理の妹、弟と私の夫にも権利があると思っていました。
(義理父の妹も弟も独身なので)

しかし実際に葬儀が終わり、いろいろと蓋をあけてみたところ、遺言はないから相続は他界された祖父の妹と弟でするから、夫には放棄のはんこうを押して欲しいと言われたのです。

しかし、一時は騒然となり、夫の母は凄く怒り心頭で弁護士さんをたてて話し合うというところまでいきましたが、夫は身内同士ではお金の問題でもめたくないからと、義理母や私を抜きで、放棄のはんこうを押していたのです。

お金は1円でも多く欲しいのが本音でしたが、夫には義理母も私も子供も不自由なく過させてもらっているので、納得するしかありませんでした。
しかし今でも祖父が元気なうちに遺言書、もしくは遺言を言い残してくれていたら・・と強く思う事も正直ありました。

また夫の実家の遺言をめぐり、その事を教訓として、私の両親にも遺言の大切さを伝えました。
まだまだ元気と思っているならば、その脳も身体も元気なうちに遺言のことをきちんとして欲しいと伝えさせてもらいました。

私は長女ですが、弟、弟がいて三人とも家庭があります。今はそれぞれ生活をしているので、相続の事でもめる事は避けたいです。
父が最近、遺言の事はきちんとしたから大丈夫だと一言だけ言ってくれたので、私は父親の事を信じています。

下の弟はうちは遺産のことでは絶対にもめないから大丈夫だよと、笑い話にしていましたが、今は弟の気持ち一つではなく、それぞれ妻や私にも夫がいるので、余計に遺言は大切になってくると感じています。

それをまだ笑って大丈夫だと言える弟はまだまだ考えが甘いと感じました。
元気なうちにみんなで考える遺言のありかた・・私はとても大事だと感じます。

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昨年亡くなった父親の相続について時間がかかりました

昨年夏に父親が外出先で倒れて翌日になくなったので、当然遺書もなく相続することに関して何も知識が無くて混乱しました。税理士にお願いすれば簡単でしたが親戚に尋ねると100万円近くかかったというので、残された母親の老後の生活のこともあり節約しようと考えました。
相続税が心配だったので実家近くにある税務署を尋ねましたが、管轄が違うといわれたので別の日にいくことになりました。改めて本来の税務署に相談にいったところ財産目録が必要だといわれたので、父親の銀行口座と郵便口座の預金高、株券、家のローンの支払い状況、葬式にかかった費用を算出し、あらためて税務署にいきました。目録を提出すると初めて家の路線価格を調べてくれ、相続税が発生するといわれてしまいました。ただし配偶者が納税すべき額が1億6千万円以下ならかからないと小さく注意書きがあり尋ねると、別の窓口だといわれたので、改めてでなおすことにしました。
母親に遺産分割協議で一括しておいた方がよいと別の知人が教えてくれたので、相続人が母親と私、弟だけなのかを確認するために父親が出生した役所から戸籍謄本をとりよせることになりました。
大きな都市ではネットでも取り寄せできますが、父親は田舎で生まれたので電話で頼むしかなく平日に時間を作るのに苦労しました。なんとか戸籍謄本が集まり、他にいないことが確認できました。遺産分割協議書を作成して税務署にいきましたが、間違いが多々ありましたがなんとか受理してくれました。
ここまでは時間がかかりましたが比較的順調でした。父親の銀行口座が複数あり、母親に名義変更するために印鑑証明が必要でしたが、会社が忙しく税務署にいくのは平日でしたので会社を休む必要がありつらかったです。丁度忙しい時期でしたので残業で補いましたが、職場の理解がありなんんとか助かりました。
その後相続税が発生しないことがわかり安心しましたが、実際支払うのは全国で3%ぐらいと後から聞き、心配して損したと思いました。

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義父の遺産分割①(5年前)

義父が5年前に亡くなってから、遺産の整理がすべて終わるためには3年近くかかりました。
もう思い出したくもありません。
いろいろなことがありすぎました。
順番に話していきましょう。

義父の相続人には、義母と子供たち3人がいました。
子供たち3人は、妻の兄、妻、妻の弟の3人でした。
その中で、かねてより、義母と妻の兄の折り合いがよくなかったことは前回お伝えしたとおりです。

相続人全員が協力すれば、遺産手続はすぐ終わります。
しかし、仲たがいするものがいると、遺産手続はなかなか終わりません。
そして、前回お伝えしたとおり、葬儀での出来事が、ますます遺産協議を難しくしてしまいました。

49日には、妻の実家、つまり私たちの家に皆が集まりました。
法要が終わった後、義母が突然、子供たちを集めて話をするといいました。
私の妻にもなにも事前に話はなかったので、妻もとても驚いていました。

義母は、子供たちを集めた後、義父から生前、遺言を預かっていると言いました。
このことも、私の妻はなにも聞いていませんでしたので、びっくりしていました。
そして、義母はその場で遺言を読み上げたいといい、これを読み上げました。

遺言の内容は、自宅は義母に遺し、自宅以外の遺産は義母と私の妻に半分ずつにするという内容でした。
このとき、妻の弟はなにも言いませんでしたが、妻の兄は明らかに不服そうな態度を示しました。

さて、こういった遺言を義母が読み上げたわけですが、これだけで話が終わりというわけではありません。
妻の兄が納得してくれませんでしたので、私たちも途方にくれました。

銀行などに聞いてみると、義父の遺言は自筆で書かれたものだったので、「検認」という手続きが必要なことがわかりました。
そして、こういった手続きも行いました。

検認をしてしばらくすると、妻の兄の弁護士を名乗る人物から連絡がありました。
妻の兄の弁護士によると、義父が書いた遺言というのは、印鑑が押されていないため、無効だというのです。

私たちには、何がなにやら分かりませんでした。
妻にも確認しましたが、遺言は明らかに義父が書いたものなのに、その遺言が無効だというのです。
私ですらよくわからないのですから、義母が分かるわけがありません。

その後、ネットで検索をしてみると、確かに遺言書というのは、印鑑がなされていないと無効だということでした。
ただ、よく調べてみると、遺言が無効な場合でも、有効になる場合があるらしいのです。
それが死因贈与という手段でした。

わたしたちは、この死因贈与を深く勉強する必要がありました。
そして、死因贈与のことを詳しく書いてあるホームページがありました。
http://www.motolaw.gr.jp/column/shimoda/死因贈与について/

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義父の死(5年前)

義父の介護を始めてから2年ほど立ったのち、義父は肺炎で入院しました。
それまでも、デイサービスを利用していましたが、正直言って、少しほっとしたのを覚えています。
それくらい私たちは追い詰められていたのです。

義父の認知症が悪化してからの介護はつらいものでした。
そのころは要介護も4になっていました。
食事、着替え、トイレ、風呂、歯磨きの介助など、義父のあらゆる行動に介助が必要になっていました。
義母だけの力では足りず、私たちが介助を行うことも増えていました。

特につらかったのは、義母がだんだんとまいっていってしまったことです。
同居をはじめたころは、子供の面倒を見てくれたり、私たちにもとても優しい義母だったのですが、
義父の介護を重ねるうちに、笑顔が消え、また、なにをするにも余裕がなくなってしまいました。
そして、私たちにも時にはつらくあたるようになりました。

同居したのは、自分たちを介護するためだったのに、私たちはなにもしない、などと言われることもありました。
同居当初、介護してほしいなどと言われたことはありません。
ただ、義父母としては、もちろん、自分たちが年齢を重ねていくたびに不安になり、私たちを頼りたくなったのも事実でしょう。
また、私たちも手伝っていなかったわけではありません。
介護には、力仕事も必要でしたので、妻だけではなく私が介護を行うこともありました。
特に風呂の介助などは私がやっていました。

そんなこともあって、義父が入院したとき、少し安心してしまったのでした。
そして、義父は入院してから3か月後、肺炎により逝去しました。

葬儀をする必要がありましたが、問題が生じました。
妻は3兄弟で、私たちの子どもと同じ、男、女、男の兄弟です。
妻は長女でしたが、兄がいました。
兄は関東に住んでいましたが、あまり義父母と付き合いがありませんでした。
義父の介護が必要になってからも、正月やお盆に顔を出す程度で、それ以外積極的に手伝ってくれようとはしませんでした。
本来であれば、義母か兄が喪主を務めるべき話なのですが、義母からは、妻が喪主を務めるように言われました。

妻は、兄のことを慕っていましたので、できればこれは避けたいと思いました。
しかし、葬儀後、なぜか兄とすぐに連絡がつかず、葬儀の手配等は、私たちの方で行わざるをえず、結局妻が喪主を務めることになりました。
このことが、それからの遺産協議を複雑なものにしてしまいました。

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義父の介護(8年前)

前回、妻の実家に同居した話をしました。
同居開始後はとても楽しかったです。
そんな生活がずっと続けばいいと思ったのですが、そうもいきませんでした。

妻の実家に同居してから1年余りたったときに、義父が交通事故にあいました。
義父が買い物に行く途中の交差点で、車とぶつかったのです。
この事故により、義父は右足を骨折してしまいました。
幸い命に別状はなかったですし、大きな後遺症が残るものでもなかったのですし、骨折自体は3カ月程度で完治しました。
しかしながら、骨折となってから、義父は外出をしなくなってしまいました。
それまで、天気のいい日は必ず、2時間以上外を歩き回る義父だったのですが、骨折してからというもの、散歩に行くこともなくなりました。
骨折中に外出ができないのは仕方がないことですが、骨折が治ってからも義父は散歩をしなくなってしまいました。
65歳を過ぎて、一度習慣が変わってしまうと、元の習慣に戻すのは難しいことのようでした。

散歩をしなくなってからというもの、義父はどんどんやせていきましたし、耳も遠くなっていきました。
また、だんだんと何をやるにもおっくうになったみたいでした。
朝もきちんと起きられなくなったり、お風呂に入ったり歯を磨くのも面倒がることが増えてきました。

私たちは、当時、長男長女の中学受験で必死でした。
そのため、義父の介助は基本的にはすべて義母が行っていました。
もちろん、私たちも義父が外出するときに車で出迎えるなどということはしていましたが、家の中での介助は義母が行っていました。

そして、義父はだんだんと認知症のような症状も出てきました。
今日が何月何日かわからない、少し前に話したことを忘れてしまうなどといった症状です。
認知症が進んでいくと、義母の負担も増えていきました。
そのころには、長男長女の中学受験も終わっていましたので、私たちが義父の手伝いをすることも増えていきました。

あるとき、義父が一人で外出して、帰ってこれなくなるということがありました。
それまでも一人で外出していたので、私たちは家で見送ったのですが、夕飯時になっても帰ってきません。
そこで、義父が持っていた携帯電話に電話をしてみたのですが、これも通じませんでした。
それから少しして、義父の携帯電話から連絡がありました。
知らない女性からでしたが、義父が帰ることができなくて困っていると教えてくれました。
そして、私たちは、義父を迎えに行きました。

こんなことがあってからは、義父はますます外出をしなくなりました。
そして、外出をしないと、ますます義父の体力や知的な能力も衰えていきました。
私たちの義父への介護はますますつらいものになっていきました。

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妻の実家に同居(10年前)

私は6人家族です。
私と妻、3人の子供たちと、義母です。
3人の子供たちは上から順に、男、女、男の順です。
長男は今年20歳で、大学生です。
長女は今年19歳で、大学生です。
次男は少し歳が離れていて、今年12歳になります。小学4年生です。
義母は今年75歳になります。
私は55歳、妻は50歳です。

私が住む家は、妻の実家です。
妻の父も、5年前まで存命でしたが、5年前に亡くなりました。
享年75歳でした。
私たち家族は、東京の郊外に住んでいましたが、10年ほど前、妻の両親から、同居してほしいと言われて、神奈川にある妻の実家で同居することになりました。
同居を決めるにあたっては、子供たちも小学校を変えたり、下の子はまだ2歳で小さかったし、私の勤務地がかなり遠くなってしまうなど、いろいろ悩むところもありました。
しかし、当時、私にはお金の余裕がありませんでした。
これから子供たちが中学、高校とお金がかかる時期なのをとても不安に思っていました。
同居すれば、当時住んでいた家を売却してローンを返済して、多少のまとまったお金が残りましたし、その後の住宅ローンの負担もなくなりましたので、当時の私たちにとってはありがたい点も多くありました。
そこで、子供たちには反対されましたが、私と妻は、妻の両親の実家に同居することにしました。
これが10年ほど前のことです。

妻の両親の家は、もともと、妻の両親と妻、妻の2人の兄の5人で住んでいた家でした。
私たち家族は5人と大所帯だったのですが、家は余っている部屋が多くあったり、各部屋自体大きかったので、子どもたちにも部屋を作ってあげることや、私たち夫婦の部屋を作ることもできました。
一緒に暮らし始めた当初は、とても楽しかったですし、助かることも多かったです。
妻の両親と私は、もともと馬があっていましたので、一緒に暮らすこと自体のストレスはほとんどありませんでした。
妻は、下の子が2歳だったので、それまで育児が大変だったのですが、妻の母が熱心に手伝ってくれました。
毎週のように私たち5人と妻の両親の7人で外食に出かけることも多かったです。

そのまま仲良く7人で暮らしていければ一番よかったと思います。
ですが、実際にはそううまくはいきませんでした。
これから、うまくいかなかったこと、そして、私が子供のために遺言を遺さなければいけないと思った理由について、ここに記していきたいと思います。

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